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ProjectID:39531
公開日時:2011-06-30 02:25
海辺に思いを寄せる
いわき市は、7つの海岸を持つ日本で有数、いや最高の海辺の景観を持つ。
子供の頃は、夏が待ち遠しかった。良く晴れた夏空の日は、自転車で海辺まで10数キロを走り、一日中波乗り、海遊びに興じた。
海水は冷たいが、水の透明感は素晴らしく、でも何よりも太平洋に面した、その波の質の良さが楽しかった。一日中繰り返す波を見つめていてもあきなった。
合磯海岸、それは日本で3本の指に入るサーフィンのメッカ
私の弟は、故郷の海に憧れてサーファーとなり、そして、日本で三本の指に入るサーフィンのメッカ、合磯海岸に住んだのである。毎日、早朝にサーフィンを楽しみ、休みは全国からたくさんのサーファーが訪れる海岸で、仲間達と、サーフィンとその交流を楽しんでいた。何度か、そんな素晴らしい海辺の暮らし、彼と彼の奥さんが暮らすアパートを訪ねた。何せ、目の前、庭の一部が堤防であり、その先は浜である。家から徒歩30秒でサーフボードで海へ飛び込める。
彼の職業は、美容師。奥さんも美容師で、東京暮らしの長い私には、そんなライフスタイルがうらやましかった。
いわきの海
弟(右)とサーフィン仲間(2009年)
二見ヶ浦
二見浦と呼ばれる岩礁があるが、その岩礁が強烈な低気圧もたらした猛烈な波で形が変わってしまったと弟から聞いた。
夜中に津波が来たら?
 助からないだろうねと。
でも、ここに住みたいのか?
 まあ、こんな暮らしはそうそう出来ないし。
二見ヶ浦の岩礁
津波によって破壊され形が変わってしまった岩礁
311、運命を分ける道
3月11日、午後3時少し前。運命の時はやってきた。
幸いにもその時間帯、弟は内陸部の仕事場にいた。奥さんは、江名の漁港傍の仕事場にいて、激しい地震の後、まわりの住人が「津波が来るぞ、逃げろ、逃げろ」の叫び声を聞き、数分先の海辺の自宅に戻り、飼い猫を拾い上げて、内陸部へ脱出した。このとき、もし右へのルートで逃げたら?その先は大渋滞で車は狭い海辺の生活道路をロックしてしまった。幸いにも左側のルートを選んだので、なんとか脱出できた。
隣町の、私が子供の頃に楽しんだ薄磯海岸は、町丸ごと津波にのみ込まれてたくさんの人が亡くなってしまった。逃げ惑う人々、どちらの道を選択するか、そんな運命の分かれ道が多くの人に現れてしまったのである。
破壊された弟のアパート
右か左か
震災後、19日にいわき市にようやくたどり着いた私は、海沿いを車で走り回った。まだ通れない箇所も多かったが、道をよく覚えていて(たぶん、子供の頃に一度しか通っていない道まで覚えていた)出来る限り見て回った。7つの浜辺はそれぞれ地形や潮の流れの違いで、その被害はまちまちで、かつ、運良く被害を逃れた家と、その隣の家が全壊して土台しかないなど、ここには、過酷な運命の分かれ道があった。
薄磯海岸の街
記憶
沿岸部の被害の大きい場所は、家が密集していて道が狭く、避難するのに難しい地区だ。当然のこと、今後の町作りの中で、巨大な堤防とコンクリートブロックで浜辺をバリケードのようにするよりは、海辺の町を内陸にセットバックするなり、避難を容易にする脱出ルートの確立など計画的な設計が必要であることは間違いない。しかし、昔ながらの風情を持つ海辺の街々が、海があることで生計が成り立ってきた人達をこうも無情にいたぶることには、心底、心が痛む。
この災害を乗り越えて、新しい海辺の町が、暮らしが戻る日はいつになるのか、そして、戻ったその日のこの震災をどう思い出すのか。人々は記憶と感情の中で一生このことを忘れないで生きていくのである。
どんな未来が待っているのか?