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ProjectID:39409
公開日時:2011-06-23 12:10
福島県いわき市の紹介
東日本大震災(地震、津波)と福島原発事故(放射能)の三重苦を背負う、福島県いわき市の紹介

福島県の位置概要
まず福島県の位置を紹介。日本は四つの大きな島と大小の島々からなりたつ列島です。そして福島県は、南北に弧を描くような日本の東北部に位置します。
福島県は、その東北部の中でももっとも南に位置し、首都圏、東京にはもっとも近い東北地区の玄関になります。東京地区からの距離は、高速道路上で約175キロ、自動車での移動時間で約1時間50分程度になります。欧州の感覚だと、この移動距離、時間だと、たとえば、米国西海岸ならサンタ・モニカからサン・ディエゴ、フランスはパリからル・マン、英国はロンドン~シェフィールドといえば、距離のイメージがおわかり頂けるでしょうか?近いと感じるか、遠いと感じるかは、その土地柄で違うでしょうけど。
【ファイルダウンロード】
  1. [ Introduction of Iwaki City and current situation after the catastrophe.docx ]
    いわき市の紹介、頭から見出しもすべて入ってます。切り分け、編集お願いします
東京都といわき市の距離感
歴史的に日本は、高速道路よりも、列車、鉄道網が整備され、特に1964年に開通した東京~大阪間の高速鉄道、「新幹線」は、全国に広がりました(北海道を除く)。福島県にも東北新幹線が開通し、首都圏と東北縦貫基幹交通網として整備が進んでいますが、いわき市には、新幹線の乗り入れなく、在来線特急で2時間15分程度で首都圏と結ばれています。上述したように高速道路でも2時間程度なのですが、首都圏の渋滞は慢性的なので、いわき市への旅は、在来線特急が一番正確かつ快適といえます。
福島県いわき市、そして福島第一、第二原子力発電所
福島県は、県の東側一帯が太平洋に面しており、約140キロに渡る沿岸部を有しております。この地域の太平洋は、暖かい海流と冷たい海流の交わる海域で、マリンスポーツ、漁業が盛んです。特に首都圏近傍の海よりも格段に綺麗な海水と太平洋の波は、サーフィンやヨットなどの愛好家に愛されて、自然豊かな福島県の中でもとびきりの観光資源を誇ってきました。その中心地として沿岸部には、相馬市といわき市があり、両市とも観光、産業の点において地域の拠点を担っています。両市とも古い歴史を持つ城下町です。
沿岸部の気候はとても温暖で、特にいわき市は、日本のLAと紹介されることもあり、市のキャッチコピーは、サンシャインシティーいわきです。

その両市のちょうど中間地点に福島第一、第二原発が位置します。
原子力発電所は、大量の水を消費し、人口密集地を避け、地盤が強固であることなどの基本条件が検討されて、福島県双葉郡に建設され、1971年3月から営業運転されました。福島原発は日本の原子力発電の歴史の幕開けなのです。政治的には、経済発展に取り残された福島県が、国の原子力発電方針を受けて誘致に乗り出したというのが日本で最初の原子力発電所になる経緯です。
そのもっとも古い原子力発電所が、当初から懸念の一つであった津波により、原子炉冷却機能を一瞬に消失、1~3号炉がほぼ炉心溶融を起こすという原子炉事故における最悪の事態を起こしてしまったのです。今となっては誰もが心配する津波には大丈夫?が最悪の事故として出現してしまったのです。
津波の被害
津波の被害は、相馬市もいわき市にも沿岸部の港湾施設、民家、農地、河川、道路に甚大な被害を及ぼし、多数の死者をもたらしました。
福島県では、今日時点で1500人以上の方々が死亡が確認され、まだ多くの人達が行方不明という状況です。他県も併せて今回の震災では3万人近くが亡くなったであろうと推測されています。
いわき市の概要
いわき市は、産業都市小名浜とその港を中心に沿岸部の再開発が進み、観光施設、水族館、マリンスポーツ施設なども整備されてきました。
産業拠点としての小名浜港は、古くは常磐炭鉱の石炭の出荷、近年は、化学プラントからの出荷、日産自動車のエンジン工場進出などがあり、1998年には国際貨物ターミナルも完成し、重要港湾指定、新産業都市指定と発展を続けてきました。
広域地方であるいわき市
内陸部には、商業と市政の中心である平地区、日本三大古泉のひとつである湯本地区と、福島県内陸部の商業の中心地である郡山地区に向けては、自然豊かな山間部が広がり、その広域な市としては、東京23区が二つ分はあるほどの面積を有します。その広さの中に人口34万人弱ですので、都会の高密度な生活とは違い、地方都市としては恵まれた環境、気候、そして、特色のある地区を有する素晴らしい市の特徴を形取っています。
ある市場調査では、老後に住みたい地区全国ナンバーワンにも選ばれたほどですから、首都圏からのリタイヤ組が、この地に老後の素晴らしい生活を求めて移住してきています。私のイメージでは、サンタ・モニカのようになって欲しいなぁという思いはありました。
そのような立地ですから、地域の生活は点在する街々を結ぶ車社会であり、上述した鉄道交通網の発展とうまく整合性がとれてこなかったことで、市と対外的な全体発展に相乗効果が得られていない実際があります。それぞれの地区がそれぞれ固有に開発が進み、この地を訪れる人達が、いわき市という全体を理解しにくいと言いましょうか。
美しい海岸線を持ついわき市
福島県の東南部に位置するいわき市の東側は、太平洋に面しており、七つの海岸地区で、特色を生かした産業的、文化的な役割を演じています。
それぞれの海岸地区は、海水浴場、遠洋漁業、沿岸漁業、観光、マリンスポーツ、宿泊、温泉、ドライブなど。しかし、歴史的はは、海岸線ぎりぎりまで接近した道路、民家、施設があり、台風、高波、津波による被害が数年単位では起こっていて、被害も少なからずありました。しかしながら、今回の東北地方太平洋沖地震のM9によって引き起こされた巨大津波は、この地に最悪の津波による死傷者をもたらしてしまいました。
私が子供の頃に楽しんだ、豊間、薄磯海岸(私はここが日本一の海水浴場だと思っていました)は、その沿岸部の町もろとも破壊してしまいました。後で聞けば、いつものように堤防のところで津波をのんびり観察していた人達も多かったらしく、一目散に高台に避難した人と、たいしたことないだろうと思っていた人達の生死を別けたのです。沿岸部の津波の被害は甚大です。開発の進んだ小名浜港周辺は、開発が進んだ故、整地された港湾内を津波が走り、港周辺の民家、民宿、飲食店などを破壊しましたし、小さな漁港は、港の後ろはすぐに山々が迫っていて、逃げ遅れた人達が大勢津波にさらわれました。津波の被害は、海岸線のわずかな条件の違いにより、まちまちです。たとえば、海岸線に河口があるところは、そこから津波が内陸部へ押し寄せ、河川の行き詰まったところであふれ出し、内陸周辺の家々をなぎ倒したところもあります。津波に対する防災は、今回の経験から、沿岸部の町の設計、道路の設計、そして河川周辺をどのように守るかなどの課題を多く与えました。
地震、津波、そして原発放射能
別の記事で詳しく解説しますが、福島第一、第二原発の南側に位置するいわき市は、たぶん風向きの加減で、北の南相馬、北西部の飯舘村の放射能汚染よりもずっと軽いのですが、今後の二次災害、あるいは冷温保全に失敗した場合の次の原子炉事故では、どうなるか解らないのです。また、市民が測定する放射線量では特定の場所で大きな数値も計測されたりします。
市の北側は、原発から30キロに位置するわけですから、被爆の少ないいわき市は、現時点では、復旧拠点なのです。もっともいわき市の北側、原発から20キロにあるJ-ビレッジが現場の最前線であり、いわき市はその後方支援拠点になるわけです。
世界の皆さん、あなたの家がもし、距離100キロ以内に原発があるようでしたら、年間の風向を一度調べてみてください。もし風下になることが多いようでしたら、被害は甚大です。
原発と向き合う市民、そして感情
そして、市民として原発事故を考えると、意見がほぼ二分してしまいます。賛成派、反対派、条件付き賛成派といった具合で、この意見は、原発との位置関係と関係します。原発城下町と言いましょうか、産業が乏しく取り残された地域に建設された福島原発は、その地域にとっては一大産業なわけです。当然、市民の方々は原発施設に直接雇用されている人も多く、また、関係会社となればさらに裾野は広く、働き先としてはなくてはならない存在になっています。ですが、東電の福島原発による発電は、福島県で消費されるのではなくて、首都圏、関東圏に送電されて、つまり東京電力の供給エリアで消費されるのです。これは、福島県民にとっては心境複雑です。
よって、東電との関係が直接の利害関係に結びつかない人達は、原発などもう絶対に嫌だという感情論になってしまいます。これが昨日まで仲の良かった友人、知人同士で起こるわけですから、市民生活、直接の被災地域としてはたいへんなストレスになります。
日本のエネルギー事情総論と原発近隣の各論、感情論
日本政府は、脱原発も視野に入れながら、かつ原発路線も当面は続けるしかないという、いつもの二面性を持つ回答をし続けています。この態度は、日本人としても耐え難き、はっきりしない路線です。物事に白黒はっきりさせないというのは、日本の企業も政府と同じような体質を持っていますし、海外の方々が日本人と親しくなる過程で、いわゆる本音と建て前を使い分けることに戸惑うのではないでしょうか?
ドイツの脱原発を国家的政策としてわずか二ヶ月あまりで転換したことは、この国では起こりえないでしょう。原発事情はドイツと大きく違いますし、原発の数は2倍以上日本は多いので、利害関係が複雑です。でもだからこそドイツの国の意志の強さが、とてもすごいことに思えてしまう。ドイツ国内の様々な論争は聞こえてこないから、「本当のこと」は推し量るしかないのですが、それでも短期間に国策がドラスティックに決まるというのは、政治力として感嘆してしまいます。

エネルギー革命として、いわき市として出来ることは、農地として利用促進が期待できないエリアで、ドイツや他国の再生可能エネルギーの施設を実験導入していき、太陽光、風力、地熱など他地区よりも条件面で勝ることを証明していくしないと思うのです。しかしながら、その資金や推進者、リーダーシップの課題は、見えてきていません。

さて、これから世界の皆さんに原発問題に直面する福島県、いわき市の今を伝え続けていきたいと思います。福島原発の収束は、いまだはっきりしません。なぜかといえば、未だに原子炉内部の問題が明らかになっていないのです。すべては推測で、そして問題が起こらないことを前提にした、復旧計画が発表されています。炉心溶融の発表も事故後2ヶ月も経ってから発表されましたが、もう当日に事故の状況から数時間以内に炉心溶融に陥ると予測して、30キロあるいは、風下に位置するエリアはもっと遠く50キロ以上を避難地区とすべきだと連呼した人もいます。しかし、すべては政府発表では、原子炉内部は問題ないとして、20キロ以上のエリアは、自宅待避と指示したのです。
これまでの経緯を思うと、今後の原発復旧を誰に任せるべきかという議論すら起き始めています。いわき市には、たくさんの原発現場で命の危険を侵してまで作業する方々が駐留しています。そこから聞こえてくる現場の恐ろしさは、日に日に明らかになってきて、あと10年なのか、20年なのか、それとも30年なのか、いわき市と福島県の復興はとても長い歴史になるでしょう。
いわき市から始まるエネルギー革命
エネルギー革命として、いわき市として出来ることは、農地として利用促進が期待できないエリアで、ドイツや他国の再生可能エネルギーの施設を実験導入していき、太陽光、風力、地熱など他地区よりも条件面で勝ることを証明していくしないと思うのです。しかしながら、その資金や推進者、リーダーシップの課題は、見えてきていません。
いわき市の復興、原発事故の収束
さて、これから世界の皆さんに原発問題に直面する福島県、いわき市の今を伝え続けていきたいと思います。福島原発の収束は、いまだはっきりしません。なぜかといえば、未だに原子炉内部の問題が明らかになっていないのです。すべては推測で、そして問題が起こらないことを前提にした、復旧計画が発表されています。炉心溶融の発表も事故後2ヶ月も経ってから発表されましたが、もう当日に事故の状況から数時間以内に炉心溶融に陥ると予測して、30キロあるいは、風下に位置するエリアはもっと遠く50キロ以上を避難地区とすべきだと連呼した人もいます。しかし、すべては政府発表では、原子炉内部は問題ないとして、20キロ以上のエリアは、自宅待避と指示したのです。
これまでの経緯を思うと、今後の原発復旧を誰に任せるべきかという議論すら起き始めています。いわき市には、たくさんの原発現場で命の危険を侵してまで作業する方々が駐留しています。そこから聞こえてくる現場の恐ろしさは、日に日に明らかになってきて、あと10年なのか、20年なのか、それとも30年なのか、いわき市と福島県の復興はとても長い歴史になるでしょう。